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大随求菩薩(摩訶 鉢羅底薩落 Mahā-pratisarā)の心中心呪について、サンスクリット語版・チベット語版では付加される句があり、漢訳経典の「佛說瑜伽大教王經」において大随求菩薩の陀羅尼として説かれているものである。該当する箇所は「爾時世尊大遍照金剛。如來復入安隱一切胎藏變化金剛三摩地。出此定已。說大隨求菩薩真言曰 唵 摩尼達哩 嚩日哩尼 摩賀 鉢囉底薩哩 娑嚩賀」であり、"om manidhari vajripi mahapratisare hulp hum phat phat svaha."が付加されてるが、漢訳では「hulp hum phat phat」の部分は音写されていない。大随求陀羅尼経では、大随求菩薩の前身とみられる随求天子の名はみえても大随求菩薩との名では説かれておらず、この点からみても付加された句は「後に経典に付加された」とみられている。不空訳『普遍光明清浄熾盛如意宝印無能勝大明王大随求陀羅尼経』の経典名の無能勝大明王についてだが、仏教における明王の一尊で本地は地蔵菩薩とされ「無能勝金剛」とも呼ばれる。名前はサンスクリット名「Aparājita」を意味より訳したもので、音写では「阿波羅質多」「阿鉢唎市多」「阿跋唎爾多」とも呼ばれる。胎蔵界曼荼羅では無能勝妃とともに釈迦院に配され、密号は「勝妙金剛」。関係経典は大毘盧遮那成佛神變加持經の卷二真言藏品・卷五祕密漫荼羅品、無能勝大明王陀羅尼經、菩提場所說一字頂輪王經卷二畫像儀軌品がみられる。少なくとも大随求菩薩は胎蔵界曼荼羅蓮華部院に配されており、無能勝大明王と無能勝妃は胎蔵界曼荼羅釈迦院に配されているので同一視するのは考え難い。

雑記 10

ナポレオン(Napoléon Bonaparte, 1769年-1821年)は「知性は力の権利以前に権利を持っている。力といえども知性なくしては無に等しい。」との言葉を遺していたが、他方、真密・台密に限らず密教において、或いは仏教において「事相と教相は鳥の双翼・車の車輪の如し」との言葉がある。事相とは謂わば実践的な側面を示しており、教相とは理論的な方面を示す。「知性は力の権利以前に権利を持っている。力といえども知性なくしては無に等しい。」「事相と教相は鳥の双翼・車の車輪の如し」この2つの言葉は同じ事柄を意図して示唆しているわけではないが通じるものがある。理論が持つ優位性は、実践が持つ優位性よりも上回る関係にあり、理論なき実践は無に等しい。しかしながら、理論と実践は鳥の双翼・車の車輪の如き両立した関係にもあるので、実践は理論が持つ優位性を上回る事がない関係性にあったとしても、欠かす事は出来ない。その理論は実践が伴っているものなのか。その実践は理論で裏打ちされているものなのか。思慮を巡らせる事は大切だといえよう。

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大随求菩薩の心中心呪(一切如来真言)について、不空による金剛頂瑜伽最勝祕密成佛隨求即得神變加持成就陀羅尼儀軌では「唵 跛囉跛囉 三跋囉三跋囉 印捺哩 野尾戍馱𩕳 吽吽 嚕嚕 左初 娑婆賀」と記述されており、宝思惟による佛說隨求即得大自在陀羅尼神呪經では「唵 跋囉跋囉 三跋囉 印地涅㗚㖿 毘輸達儞 䙖𤙣 噌嚧 遮隷 莎呵」あるいは、「唵 (蘇嚕蘇嚕) 跋囉跋囉 三跋囉三跋囉 印涅唎耶 毘輸達儞 唅唅 嚕嚧 (遮㘑 迦嚕) 遮隷 莎呵」と記述されている。大随求菩薩の心中心呪(一切如来真言)について、多くは「オン・バラ・バラ・サンバラ・サンバラ・インドリヤビシュダネイ・ウン・ウン・ロロ・サレイ・ソワカ」として、梵文では"Om bhara bhara sambhara sambhara indriya-vishuddhane hum hum ruru cale svaha."(帰命したてまつる。済度したまえ、済度したまえ、ひろく済度したまえ。六根清浄尊よ。浄めたまえ、浄めたまえ、破砕したまえ。遊行尊よ。かくあれし)としているが、大随求菩薩を秘仏としている京都・清水寺随求堂では「オン・バラ・バラ・サンバラ・サンバラ・インジリヤビシュダ二・ウン・ウン・ロロ・シャレイ・ソワカ」としている。漢訳経典を考察すると、先ず「indriya-vishuddhane」(漢訳表記では「印捺哩 野尾戍馱𩕳」或いは「印地涅㗚㖿 毘輸達儞」もしくは「印涅唎耶 毘輸達儞」)の箇所の扱いだが、清水寺で用いられるのは「インジリヤビシュダ二」であり、宝思惟による漢訳経典で用いられる漢字の読みに近い事がわかる。次に「cale」(漢訳表記では「左初」或いは「遮隷」)の箇所の扱いだが、「シャ」とするなら中天音の読法であり、「サ」とするなら南天音の読法となり、この点で比較すると清水寺で用いられているのは中天音の読法である「シャ」を用いてると推論できて、これは宝思惟による漢訳経典で用いられる漢字の読みにも近い。参考までに房山石経慈賢譯本では「唵 跋囉跋囉 三婆囉三婆囉 印捺囉野 跋囉尾戍馱𩕳 吽吽吽 發吒發吒 發吒 噜噜 左㘑 娑嚩賀」と表記され、房山石経不空譯本では「唵 跋囉跋囉 三婆囉三婆囉 印捺囉也 尾戍馱𩕳 吽吽 嚕噜 左㘑 娑嚩賀」としており、高麗藏宝思惟譯本では「唵 跋囉跋囉 三婆囉 印地㗚㖿 毘輸達儞 𤙣𤙣 噌嚧 遮隸 莎呵」としており、三藏菩提流譯本では「唵 跋囉跋囉 糝跋囉糝跋囉 印地㗚耶 微輸達禰 哈哈 嚕嚕 遮㘑 迦嚕遮㘑 莎嚩訶」と表記している。不空三蔵の漢訳表記は流石に読みやすく、個人的見解として用い方を選ぶなら漢訳表記を「唵 跛囉跛囉 三跋囉三跋囉 印捺哩 野尾戍馱𩕳 吽吽 嚕嚕 左初 娑婆賀」として、梵文は"Om bhara bhara sambhara sambhara indriya-vishuddhane hum hum ruru cale svaha."として、古刹の智慧を重んじて「オン・バラ・バラ・サンバラ・サンバラ・インジリヤビシュダ二・ウン・ウン・ロロ・シャレイ・ソワカ」と読む方を選ぶ。

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大随求菩薩に関する漢訳経典として宝思惟による仏説随求即得大自在陀羅尼神呪経、不空による普通光明清浄熾盛如意宝印心無能勝大明王大随求陀羅尼神呪経などがあり、儀軌では不空による金剛頂瑜伽最勝秘密成仏随求即得神変加持成就陀羅尼儀軌がある。平安期以降、大随求菩薩は篤い信仰を得てきたが造像に結びつく事は少なかった。不空三蔵が金剛智三蔵に師事した折の記述がある広付法伝によれば不空三蔵から恵果和尚が大随求の梵本を伝授されたとの記述がみられ、弘法大師空海は恵果和尚から梵本・音写本を授かって日本に持ち帰る事となる。他に、入唐八家の宗叡に関する宗叡僧正於唐国師所口受で唐で伝授された大随求菩薩に関する印契についての記述がみられ、天台悉曇学の中興の祖とされる加賀の明覚は大随求陀羅尼の句義を遺している。

雑記 09

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オリゲネスの弟子であったネオカイザリアの聖グレゴリウス・タウマトゥルグス(213-270)は、聖母を「まことのケルビム(智天使)の座」と呼んだ。知恵の象徴である書物を手にした幼子が聖母の膝の上に座る図像が絵画で多く見られるのは15世紀頃。

Fra Filippo Lippi(1406-1469)の"Madonna and Child Enthroned with Two Angels"(1437)では、天使が"VENITE AD ME OMNES QUI CONCUPISCITIS ME ET A GENERATIONIBUS MEIS IMPLEMINI"(我を欲する汝等は皆、我に来りて、我の産み出すものにて満たされよ)と記された巻物を手にする(我とは叡智の事)

Jan van Eyck(1395-1441)の"Lucca Madonna"(1436)では、ソロモンの玉座を暗示させる獅子の玉座に聖母子が座る。新約聖書外典ヤコブ福音書(著者不明、西暦200年前後に執筆したのではないかと考えられている。)では聖母マリアは幼き頃にエルサレム神殿に奉献したとしており、それを表した絵画も描かれている。

ちなみに、中国における最初のキリスト教の伝来は7世紀のネストリウス派の宣教師・阿羅本によるもので、唐時代において景教の名で広まったが、会昌5年(845)の弾圧を受けて端拱1年(988)に1度目の消滅にいたる。(大秦景教流行中国碑(781)は景教隆盛時の記録) 日本の伝教大師最澄弘法大師空海の入唐は延暦23年(804)の事であり、伝教大師最澄は翌年に帰国、弘法大師空海は3年後に帰国する。

 

雑記 08

胎蔵界とは密教における両部の一つで金剛界と対になる。密教で説かれる毘盧遮那佛(大日如来)の理の方面を代表する。胎児が母胎の中で成育してゆく力にたとえて、毘盧遮那佛の菩提心があらゆる生成の可能性を蔵している事を示したもので、それを図示したのが胎蔵界曼荼羅である。

胎蔵とは梵語のgarbha-kośaの漢訳語であり、一切を含蔵する意義を有し、また母胎中に諸子を守り育てる意義を有している。

胎蔵界とは毘盧遮那佛の一切衆生に対する慈悲によって、その悟りの内奥から生起した諸佛・諸尊の世界の事であり、毘盧遮那佛が、その無数劫の過去世に蓄積した経験を現世に生きる衆生に対応した形に変化させ、その上に付加して、衆生に佛の真実の世界の内実としての意味付けを与えた総体の事。因徳を成じて果徳に同じる胎蔵界を蓮華が開く事にたとえて蓮華胎蔵と称し、佛の慈悲が衆生を守護して育てる事を、母胎が子を養育する事にたとえて胞体胎蔵と称する。

キリスト教においても類似した考え方があり、それが上智の座である。叡智の象徴である書物を手にした幼子が聖母の膝の上に座る聖母子図像は典型。

 

雑記 07

「古い基礎を人々は貴ぶが、同時に何処かで再び初めから基礎を築きだす権利を放棄してはならない。」「古人が既に持っていた不充分な真理を探し出して、それをより以上に進める事は、学問において極めて功多きものである。」「誤りを認めるのは、真理を見出すのより遥かに容易である。誤りは表面にあるので片付けやすい。真理は深い処に収まっているので、それを探るのは誰にでも出来る事では無い。」「真理と誤りが同一の源泉から発するのは不思議であるが確かである。それゆえに誤りをぞんざいにしてはならぬ事が多い。それは同時に真理を傷つけるからである。」

ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテは数多くの言葉を遺している。エリファス・レヴィは著書において「ゲーテは哲学的魔術のあらゆる秘儀に通じており、若い頃には儀礼魔術を実践さえした。」としている。実際はどうであったかは定かでないが、ゲーテが遺した数々の言葉に耳を傾けてみるのも悪く無かろう。

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明王」とは明呪(陀羅尼)の中の王(最も優れているもの ※明妃と称される事もある)の意味の事で陀羅尼が尊格化されたものである。五護陀羅尼とは大随求菩薩を中尊に五種類の陀羅尼経典を集成した形態の事で孔雀明王も含む。胎蔵界曼荼羅蓮華部院の大随求菩薩(随求明王菩薩あるいは大随求佛母)の随求とは衆生の求願に随い施し与える事。密号は与願金剛

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陀羅尼集經には「若不用心護法 輕爾露處作印呪法者 為惡鬼神之所得便」との一文がある。「若し法を護ることに心を用いず、爾を軽んじて露處に印呪の法を作す者は、惡鬼神の為に便りを得るところとなる。」加えて、金剛頂一切如來真實攝大乘現證大教王經には「汝慎於餘人 未知此印一切 不應指示 何以故彼有情 不見大曼荼羅 輒結彼等 皆不成就 則生疑惑 招災禍 速死墮於無間大地獄 墮於惡趣」との一文がある。「汝、慎んで餘人の未まだ此の印を知らざるにおいて一切をも指し示すべからず。何を以ての故に。彼の有情 大曼荼羅を見ずして たやすく彼等を結ばば皆成就せず。則ち疑惑を生じ災禍を招き 速やかに死して無間大地獄に墮し惡趣に墮せん。」衆生救済の志が無く、真摯に道を求めぬ者には授かる資格など無いと誡める。青龍寺儀軌に由来する「我等下輩愚鈍 凡夫持此印事 蚊蟻如掌須彌 但願諸佛加護我成無上正覺 此文總行法住心也」との一文もある。(青龍寺沙門法全集「大毘盧遮那成佛神變加持經蓮華胎藏菩提幢標幟普通真言藏廣大成就瑜伽」)慎みの心を失ってはいけない。

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孔雀明王に関して不空による佛母大孔雀明王經では「是の如く我れ聞きき、一と時薄伽梵、室羅伐城に在りて、逝多林給孤獨園に在する時、一苾芻あり名けて莎底という、出家して未だ久しからずして近圓(比丘の異名)を受具し毘奈耶教を學び、眾の為に薪を破りて澡浴を營むに、大黑蛇ありて朽木の孔より出でて、彼の苾芻の右足の拇指を螫す。毒氣身に遍して地に悶絕し、口中より沫を吐き兩目上に翻ず。爾の時、具壽阿難陀彼の苾芻の毒の為に中てられて極めて苦痛を受くるを見て疾く佛の所に住き、雙足を禮し已て佛に白して言さく『世尊、莎底苾芻 毒の為に中てられて大苦惱を受くること具さに上の說の如し、如來の大悲云何してか救護したまえ』と。是の語を作し已るに。爾の時に佛、阿難陀に告げたまう。『我れに摩訶摩瑜利佛母明王大陀羅尼あり。大威力ありて能く一切の諸毒怖畏災惱を滅し。一切の有情を攝受し覆育して安樂を獲得せしむ。汝ぢ我が此の佛母明王陀羅尼を持して莎底苾芻の為に救護を作し、為に地界を結び方隅界を結び安隱を得、所有る苦惱みな消除することを得せしめよ。』」との記述がある。

「如是我聞 一時薄伽梵在室羅伐城逝多林給孤獨園 時有一苾芻名曰莎底 出家未久新受近圓 學毘奈耶教為眾破薪營澡浴事 有大黑蛇從朽木孔出 螫彼苾芻右足拇指 毒氣遍身悶絕于地 口中吐沫兩目翻上 爾時具壽阿難陀見彼苾芻 為毒所中極受苦痛 疾往佛所禮雙足已 而白佛言世尊莎底苾芻 為毒所中受大苦惱 具如上說 如來大悲云何救護 作是語已 爾時佛告阿難陀我有摩訶摩瑜利佛母明王大陀羅尼 有大威力 能滅一切諸毒怖畏災惱 攝受覆育一切有情 獲得安樂 汝持我此佛母明王陀羅尼 為莎底苾芻而作救護 為結地界結方隅界 令得安隱所有苦惱皆得消除」

僧伽婆羅による孔雀王呪經でも「如是我聞 一時佛住舍衛國祇樹給孤獨園 時有比丘名曰娑底 年少新出家 受具足未久 始學毘尼為眾破樵以營澡浴 樵孔黑蛇嚙其右脚拇指 毒攻其身躄地吐沫 轉眼騰視 阿難見其苦痛 往至佛所具白佛言 云何治救 佛告阿難汝持我語 以大孔雀王呪為除惡毒 往至於彼攝受守護 令娑底比丘身得安樂」との記述があり、義淨による佛說大孔雀呪王經でも 「如是我聞 一時薄伽梵 在室羅伐城逝多林給孤獨園 與大苾芻眾千二百五十人俱 於此住處有一苾芻名曰莎底 年少出家未久 新受圓具學毘柰耶教 為眾破樵營澡浴事 有大黑蛇從朽木孔 忽然而出螫彼苾芻右足拇指 毒氣遍身悶絕于地 口中煦沫兩目翻上 爾時具壽阿難陀 見彼苾芻形狀如是極受苦痛 即便疾疾往詣佛所 禮雙足已在一面立 而白佛言世尊莎底苾芻受大苦惱如上具說 如來大悲云何救療 作是語已佛告阿難陀 汝宜持我所說大孔雀呪王 為莎底苾芻而作擁護攝受覆育 為其結界結地令得安隱 所有痛苦悉得消除 或被刀杖之所侵傷 或為諸毒之所惱害 作不饒益事」との記述がある。

更に、不空による佛母大孔雀明王經では「佛告阿難陀 往昔之時雪山南面 有金曜孔雀王於彼而住 每於晨朝 常讀誦佛母大孔雀明王陀羅尼 晝必安隱 暮時讀誦夜必安隱」との記述があり、「金曜孔雀明王は嘗て佛母大孔雀明王陀羅尼を誦する事を忘れて衆多の孔雀婇女と倶に林より林に至り山より山に至りて遊戯し、貪欲愛著放逸昏迷して山穴の中に入りしに、獵人これを捕えて縛せり、其の時に明王本正念に歸りて佛母大孔雀明王陀羅尼を誦せしに縛自から解け、眷属安隱に本住處に歸ることを得たり」としている。

「阿難陀彼金曜孔雀王 忽於一時忘誦此佛母大孔雀明王陀羅尼 遂與眾多孔雀婇女 從林至林從山至山 而為遊戲貪欲愛著 放逸昏迷入山穴中 捕獵怨家伺求其便 遂以鳥羂縛孔雀王 被縛之時憶本正念 即誦如前佛母大孔雀明王陀羅尼 於所緊縛自然解脫 眷屬安隱至本住處」

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青龍寺儀軌や玄法寺儀軌で孔雀明王は他の明王と区別して菩薩の呼称を用いている。代表的な経軌である不空による佛母大孔雀明王經では金曜孔雀王の呼称もみられる。この場合における佛母とは、それによって諸佛が生ずる事から称されるのであって、必ずしも女性を示す際に用いる呼称では無い。孔雀明王は他の諸尊と同様に道教においても受容されており、太上元始天尊說寶月光皇后聖母孔雀明王經といった経典がある。

孔雀明王に関して遍口鈔の五古獨古事では「孔雀明王呪末『一字金輪呪』字ヲ加テ誦ト」と述べており、同書の金輪眞言讀加孔雀明王眞言事では「金輪法時 彼眞言ニ讀加孔雀明王眞言事在口傳 金輪與孔雀明王同體ト習也云々以之爲口傳 仍般若寺僧正ノ本尊ノ孔雀明王ニハ孔雀ノ尾後ニ日輪ヲ書タル像御マス云々」と述べている。白寶口鈔の金輪法の項目にある眞言事においても厚造紙や玄秘鈔の秘事に関する記述について触れた上で「若以孔雀明王為本尊時 結孔雀明王印 以金輪咒可加上也 同用法以金輪為本尊故 大日劍印以孔雀明王咒上置之也」と述べており、同書の孔雀經法の項目においても孔雀明王一字金輪(一字佛頂輪王)が互いに不可分な関係にある事が述べられている。

念の為に述べておくが、一字金輪呪(一字佛頂輪王の陀羅尼)の威神力は最尊最特とされ十地の菩薩でさえも怖れるのであり、何ら知り得もせずに用い事は慎むべきである。